魔法のボールペン

犬山 翔太
 
 エス氏は、大事そうに両手で一本のボールペンをレジに運んだ。そのボールペンは、同じ型のボールペンでは最後に残った一本だった。
 二十一世紀中には姿を消すだろうと言われていたボールペンも、二十二世紀まで何事もなく生き残った。
 ペーパーレス化が言われて百年以上たつが、やはり人間は画面で読み書きするより、紙へ読み書きする方を好むらしい。
 エス氏は、買ったボールペンを懐深くにしまい込んだ。他人の目がなければパンツの中にでも隠したかったくらいだ。何せ、このボールペンは、エス氏が百五十八軒の店を回ってようやく見つけた一本なのである。
 カバンに入れてひったくられでもしたら一大事だ。
 エス氏は、自宅の金庫にそのボールペンをしまって一息ついた。
「ふう。これで、何とか、一年程度はしのげるだろう」
 エス氏がここまでそのボールペンにこだわるにはわけがある。

 五年前までのエス氏は、いつまでたってもうだつの上がらない駄目社員だった。しかし、そのボールペンを使い始めてからというもの、エス氏は、何をやってもうまくいった。あれよあれよという間に業績を伸ばし、ついに社内トップクラスの成績を残す有能社員になってしまったのだ。
 その理由は、すべてそのボールペンによるものだった。
 エス氏の頭では到底思いつかないようなアイデアや文章が次々に生まれてくる。エス氏が提出した企画は、会社の幹部からいつも絶賛を受けた。
 別にコンピュータのファイルで提出しなければならない場合も問題はない。ボールペンで書いたものをそのままコンピュータに入力すればいいだけの話だ。ボールペンは、エス氏が表題さえ書けば、あとはまるで生きているかのようにエス氏の手を自由自在に動かしてくれる。他の人には何の変哲もないただのボールペンであるのに、エス氏にとっては魔法のボールペンなのだ。

 だが、ある日、そんな順風満帆の人生に危機が訪れる。いつも、そのボールペンを買っていたコンビニへ行ったら、別の型のボールペンに替わっていたのだ。
「まあ、型が新しくなっただけなら、これでもいいか」
 エス氏は、軽い気持ちでその新しい型のボールペンを買った。それが大きな間違いだった。
 エス氏の業績は、見る見るうちに落ちていったのだ。エス氏の出した企画は、一向にヒットする気配すらなくなり、商談は、ほとんどまとまらなくなった。上司からも、
「最近、どうしたんだ。急に不調に陥って。体調でも悪いのか?」
 と首を傾げられる始末である。
「ええ、最近、どうも胃腸の調子が……」
 エス氏は、適当な嘘をついてごまかすしかなかった。

 エス氏は、あせった。どうやら新しい型のボールペンでは優れた能力を発揮してくれないのだ。一つ前の型のボールペンじゃなきゃいけない。
 エス氏は、近所のあらゆるコンビニ、文具店、百貨店、ホームセンターとボールペンが売ってそうな店を回って、一つ古い型のボールペンを探し求めた。
 見つかったのは、わずか三本だった。
 商品の移り変わりは早い。新型商品が出れば、旧型商品は、あっという間に店頭から姿を消すのだ。
 エス氏は、三本あることに安心してしまっていたが、一本使い切って残り二本になったとき、とんでもないことになっていることに気づいた。
 近所のどの店を回っても、そのボールペンは売ってないのだ。
 二本あるからと言ってもはや安心はできない。一本のボールペンは、一年程度ですべて使い切ってしまう。二本あったところで二年しかもたないのだ。
 もし、どこかで一本紛失してしまえば、それは一年に縮まる。

 エス氏は、そのボールペンを売っている店を探し回った。市内には売っておらず、エス氏は、近隣の街まで足を伸ばした。だが、そこでも見つかることはなかった。
 そのボールペンが魔法のような力を持っているなんて、誰も信じてくれやしない。だから、エス氏は、妻以外にはその話をしてなかった。
 妻だけは、そのボールペンの魔力を知っているから、エス氏とともにいろいろ方策を考えてくれる。
「意外と、田舎の小さな店なんかが売れ残ってたりするんじゃないかしら」
 エス氏は、妻の言葉を信じて、過疎化の進んだ山間部の店を探し始めた。
 そして、ようやく小さな個人経営の文具店でそのボールペンを見つけることができたのだ。探し始めて百五十八軒目ということもあって、もはやこれ以上探しても同じ型のボールペンは見つかりそうになかった。
 エス氏があまりにも大事そうに懐にしまっているのを見て店の主人は、いぶかしそうに尋ねた。
「そんなに貴重なボールペンなのですか?」
「ええ、まあ。普通のボールペンなんですけど、私には特別な思い入れがありまして」
 どうせ、このボールペンに魔力があるなんて話をしても信じてもらえるはずがない。気が狂ってると思われるくらいのものだろう。
 エス氏は、足早に店をあとにした。

 ようやく一本手に入ったものの、消耗品であるからにはなくなるのが時間の問題である。中のインクが取替可能な型のボールペンもよく見かけるが、残念ながらエス氏が買うボールペンは取替不能な使い捨てボールペンである。
 あとは、メーカーに直接問い合わせるしかすべがない。
 エス氏は、メーカーに電話をかけた。
「AB18−726Sという型のボールペンの在庫はありますか?」
「ちょっとお待ちくださいね。ええっと、そのボールペンにつきましては二年前に廃止になっておりまして、在庫も残っておりません」
「何とか手に入れる方法はありませんか?」
「うーん、どこかの店に売れ残ってないか探すくらいでしょうかねえ」
「やはりそうですか」
「どうしても、その型じゃないと駄目ですか。いろんな新型が出てはいますけど」
「ええ、その型じゃないと駄目なんです」
 妙な客だと思われているんだろうな、とエス氏は苦笑する。
「じゃあ、私が発注して、その型のボールペンを例えば百本作ってもらうことは可能でしょうか?」
「残念ながら、作る機械自体が古い型なので、もう輸出してしまって日本にはないんですよ」
「でも、輸出したということになると、輸出した先にはあるということですよね」
「ええ、そういうことになります」
「じゃあ、教えていただけますか?その国まで買いに行きますから」
「国というわけじゃないんですよ。私どもの手元の資料によりますと、その機械を輸出した先は、木星となっております」
 エス氏は、唖然とした。もちろん、木星なんて遠くてそう簡単に行けるところじゃないということもある。だが、もう一つの理由は、ちょっと前、ボールペンで「将来の運勢」という表題にして書いてみたところ、その中に《木星で今後五年間、物を買ってはならない》というのがあったからである。






(2010年9月作成)




犬山ノート:
 最近、履き慣れた革靴の底に穴が開き、使い物にならなくなりました。新しいのを買いましたが、今まで履いていたのと全く同じものは売ってなくて、少し気分が沈みました。サンダルに至っては、履き心地の良かったのを破れてきてもガムテープを貼って使い続けています。もうどこへ行っても売ってないので。
 短期に大量生産して短期に大量消費する時代になったため、好みの物がすぐ新しい型に変わって、なくなってしまう不便を、最近はよく感じるようになりました。



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