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モーデン

犬山 翔太
 
 この女性となら一緒に死んでも構わない。深い恋に落ちてしまうとそんな気持ちになる一途な人がいる。思い込んだら命がけ。
 栗田は、まさにそんなタイプだった。
 だから、これまで付き合ってきた女性は、例外なく「荷が重い」と離れて行ってしまった。
 一途なのは女性に限ったことではない。仕事にも一途で、与えられた仕事に対しては徹夜をしてでもやり遂げるし、趣味のゴルフも上達のための鍛錬に怠りはない。

 だからこそ、栗田は、昨晩見たテレビニュースがどうしても頭から離れなかった。
 南米でこの世のものとは思えないほど、美味な食べ物が流行しているというのだ。
 南米原産の動物や植物を混ぜ合わせて作った発明品だというのだが、一つだけ大きな欠点があった。
 毒である。美味だが猛毒があるということで悪魔の「デーモン」をもじって「モーデン」と名付けられたそうだ。

 会社へ行くと、その話題で持ちきりだった。
「何せ、最高級のステーキや大トロよりも何十倍もうまいらしい。値段も十グラムで百万円だってさ」
 隣の小倉が自慢していた。どうせ、深夜のニュースで仕入れたネタだろう。だが、モーデンがステーキや大トロより何十倍うまいなんてどこから出てくるのだろう。まだ日本人でそれを食べた者は皆無なのに。情報なんていい加減なもんだ。
「わあ、すごい。ねえ、あたしに買ってよ」
 チンパンジーに似ているが、若い女性というだけで小倉にかわいがられている桃子が甘い声を出す。
「駄目、駄目。そんな簡単に食べられるもんじゃない」
「えー。でも、小倉さんってやり手じゃない。一杯、お給料もらってるんでしょうから百万円くらいすぐ出せるでしょ」
「ばか。金の問題じゃないんだよ。モーデンは、毒があって、食べたら必ず一時間後に死んでしまうんだ。それじゃ、なかなか食べる気にならないだろ?」
「そうねえ。すてきな恋もしたいし、いろんなところに遊びに行きたいし。あたし、まだ死にたくないわ」
 無理にでも食って死ね、と栗田は言ってしまいそうになったが、さすがにこらえた。

 全くばかばかしい話題ではあるが、栗田も、他人のことは言ってられない。栗田は、社内では一、二を争う美食家を自負している。昼食からステーキ、寿司、うなぎは当たり前であり、時にはフレンチや高級中華にも手を出すほどなのだ。だから、美味と聞くと、なかなか頭から抜けてくれない。
 それゆえに、世界一うまいと誰もが絶賛するような食べ物があるとなれば、食べずに放っておくことなどできそうになかった。
 かと言って、毒に当たって死んでしまうのも嫌である。しかも、その毒は、解毒剤も効かないらしい。舌から体内に入れば、もはや取り除くことは難しいのだという。
「そう言えば、栗田は、グルメだったよな。ほんとは食べたくて仕方ないんじゃないの?」
 小倉の唐突なからかいがあまりに的を射ていたので、栗田は、あせった。
「ああ、まあ、ちょっとはね。そんなに食べたくはないけど」
「そうだよなあ。もうすぐ寿命だと分かっていれば、食べることはできるけどなあ。いくらうまくても、死ぬのはちょっとね」

 栗田は、仕事が終わると、自宅でテレビにかじりついた。
 どうやら日本は、早くもモーデンの輸入を禁止したらしい。それはそうだろう。日本は世界でも有数の飽食国だ。世界中のうまいものを食べ尽くして、もっとうまいものはないのか、と美食に飢えているお金持ちが腐るほどいるのだ。
 当然のように欧米諸国も輸入を禁止したし、産出している南米でさえ生産を禁止した。ニュースが世界を駆け巡ったわずか一日後に世界各国で法的措置が講じられたことになる。
 つまり、世界中、合法的にモーデンを食べられる国はなくなってしまったのである。
「これでは、あきらめざるをえないかな」
 栗田がそう思ったのもつかの間だった。
 ニュースがモーデンを食べた者の様子や感想を報道し始めたからである。
 モーデンを食べた者が死に至るまでは約一時間。ということは短期間ではあるが、食べた者から情報を得ることは可能なのだ。
 モーデンを食べた者に苦しみの時間はなかった。体が毒に冒されていても痛みもなければ息苦しさもない。ただ、全身の力が徐々に抜けて行くようになくなり、眠るように死んでいくという。
 そして、モーデンの味こそが肝心だった。
「もう、感動の一言しかありません。この世の中にこんなおいしいものがあったなんて、わたしは、いまだに信じることができません」
「俺は今まで稼いだ全財産をつぎ込んで大量にモーデンを食べたが、それだけの価値は充分にあったね。豪邸や宝石に金をつぎ込むよりこちらの方がずっといい。もういつ死んでも後悔はないよ」
 そんな言葉を残して死んでいった者は、一人や二人ではない。すべての者が同じような言葉を残し、安らかな笑顔で死んでいったのだ。
「まさに完璧な安楽死だな」
 栗田は、テレビを見ながらつぶやいた。
 以前、テレビ番組でゲストを呼んで「死ぬ直前の食事は何を食べたいか」と問うコーナーがあったが、今ならおそらく誰もが例外なくモーデンと答えるのではないか。
 栗田のモーデンへの想いは強くなる一方だった。

 世界中の法で規制されたとはいえ、モーデン人気はとどまるところを知らなかった。南米では法の網をかいくぐって密造が横行し、世界各国の密輸組織がそれを輸入し始めたのである。
 麻薬がいくら法で禁止されていても使用する者が絶えないように、モーデンも、その類稀な魔力によって人々の心をとらえて放さなかった。

 日本では駅前でよく売られていたが、それが厳しく取り締まりを受けると、今度は、手の込んだネット販売に移って行った。
 最初に世界中にニュースが流れてから一ヶ月間で日本ではモーデンを食べた者が十万人に達しようとしていた。なぜそんな統計がとれるかと言えば、死者の数で簡単に集計できてしまうからである。
 普通の自殺や殺人などはもはやニュースにもならなくなった。
 社会問題といえば、モーデン一色なのだ。

 栗田も、悩んでいた。ネット販売で手に入れたまではいいが、それを食べるべきかどうか悩んでいたのだ。
 賞味期限は一ヶ月。
 一ヶ月以上たってしまえば、徐々に味が落ちていき、いずれは腐ってしまう。
 だが、食べれば間違いなく命を落とす。多くの人が悲しむだろう。まず、両親と妹がいる。恋人もいる。そして、親戚や恩師、友人たちもいる。
 でも、どうしようもないのは、そんなこと以上にモーデンの魅力が勝ってしまっているということだ。中毒である。アルコール中毒やニコチン中毒の人間と同じように、栗田は、モーデン中毒にかかってしまったのだ。まだ一度も食べたことがないにもかかわらず。

 モーデンを手に入れた二週間後、栗田は、ついに決意を固めた。どうせこのまま生き長らえても、ろくでもない人生を送るだけだ。それならば、モーデンという世界一の美味を周りの者よりも早く経験して優越感に浸りながら死のう、と。
 栗田は、その日、会社を休んでモーデンを食べた。他の何ものにもたとえようのない崇高な美味が口の中に広がる。
 栗田は、安らかにこの世に別れを告げることができた。

「栗田も、あと一ヶ月我慢すればよかっただけなのになあ」
 小倉は、栗田の四十九日の法要で、哀れむように手を合わせた。法要とは思えない派手な服装で来ていた桃子もうなずく。
「栗田さん、お供えに無毒のモーデンを持ってきましたよ。存分に召し上がってくださいね」
「まあ、栗田は、夢にも思わなかっただろうな。まさか死んだ一ヵ月後に日本の食品会社がモーデンと全く同じ味の無毒モーデンを開発するとは」






(2010年8月作成)




犬山ノート:
 グルメな人は、美味しいものがあれば、どこまで出掛けて行ってでも食べたいと考えます。私は、それほどではないものの、近辺に美味しいと噂の店があれば、一度は行ってみます。
 もし、猛毒と分かっていても、このうえない美味な食べ物があったとしたら……。究極の選択になります。誘惑に強い人と弱い人の差が出るでしょう。
 でも、副作用のある誘惑に勝てるかどうかが人生を分けることも多くありますよね。


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