健康診断

犬山 翔太
 
「すみません。これ、お願いします」
 私は、ためらいがちに2日分の検便を提出する。今日は、一年に一回の健康診断なのだ。
「はい。それじゃあ、今から検尿をお願いします。コップに1センチほどで結構ですからね」
 私は、ため息とともに返事を吐き出して、トイレに入る。検便も、検尿も、している間はいつも虚しい気分になる。
 21世紀も終わりに近づいて、これだけ医学が発展しているのに、どうしてこんな原始的な検査をしなければいけないのか。

 私が検尿を渡すと、医師は、それを受け取った手で検査をして診断表に結果を書き込む。そして、その手で身長を測る。気分がいいわけがない。
「それでは、背筋をピンと伸ばしてくださいね」
 面倒な話だ。学生ならまだしも、どうして50歳の私が身長を測る必要があるのか。もはや去年から5センチ伸びていることも、5センチ縮んでいることもありえない。去年と同じはずなのだ。
「はい、ありがとうございます。では次に体重ですので、こちらの台に乗ってください」
 どうして別々に計らなければならないのだ。体重なんて、身長計の下に体重計をつけておけば、同時に測れるではないか。
「それでは続いて視力、聴力検査です」
 これも、去年と変わっているはずがない。なのに、機械を覗き込んで、上やら左斜め下とやら言ったり、ヘッドフォンみたいなのをつけて、右とか左とか言わなければならない。何かセンサーで簡単に調べられる方法はないものだろうか。時間の無駄だ。
 人は、歳をとると丸くなるというが、私は、どうも逆のようだ。様々なことに怒りが湧いてくるし、不平不満はいくらでも思いつく。他人とは違って、私は、向上心旺盛な人間なのかもしれない。

 そして、次は血圧測定。今年も、腕を締め付けられる。診察。鼻や口の中をのぞき見られ、上半身を裸にされて聴診器を当てられる。さらに、腕や足まで機械を取り付けて心電図の測定である。毎年毎年、赤の他人に体をいじくり回されるのは不快だ。
 次は、私が最も嫌いな血液検査である。腕に針を刺して、血液を抜かれる不快感は、一年のうちで最大と言っても過言ではない。血液を抜かず汗や唾液で調べられないのだろうか。
「はい。もう目を開けても大丈夫ですからね」
 五十歳にして、こんな子供扱いをされるのが癪に障る。
 しかし、不快な健康診断は、まだ終わらない。肺のX線検査である。煙草を吸わない私にとって、肺は健康そのものである。肺に放射線を浴びたあとは、バリウムを飲んで胃のX線検査でまた放射線を浴びる。今の時代、胃腸を巡回して最後に溶けてしまう小型カメラくらいあってもよさそうだが、どこまでも原始的なやり方が続く。

「それでは、最後にこのゲートをくぐってください。今年からこの検査が追加になりました」
 空港での検査のようにゲートをくぐると、何かが分かるらしい。また、放射線なのかもしれない。しかし、そもそもこのゲートをくぐるときに、今までやってきた健康診断のすべてを一気に検査できてもいいのじゃないか。
「はい、これで検査はすべて終了です。最後の検査以外は、何も問題ありませんでした。最後の検査結果で、あなたの脳が随分古くなって取替時期に来ていることが分かりました」
 意外な検査結果に私は、たじろいだ。
「ええっ、この脳は一生使えるんじゃないんですか?」
「今の人工頭脳はよくなっていて、一生使えるんですが、あなたは、20歳のときに、頭脳が平均より大きく下回るということで、強制的に人工頭脳に取替えられています。当時の人工頭脳は、20年から30年くらいしかもたないんですよ」
「このままでは、何か影響があるんですか?別に痛みもありませんし、生活に支障をきたす症状もありません。何も困るようなことはないのですが」
「確かに自覚症状はなさそうですね。実は、あなたの場合、人工頭脳の劣化により、不平不満ばかり考えるようになって、すぐ怒ったり、愚痴を言うという弊害が出始めています。近日中に取替えた方がいいでしょう。困るのは、あなたではなくて周囲です」







(2010年7月作成)




犬山ノート:
 会社で毎年強制的にさせられる健康診断。いろんな検査があって待ち時間が長く、今年は1時間以上も時間をとられました。発展する医療とは裏腹に、原始的な検査方法があまりにも多いので、もっといいやり方があるんじゃないの、と考えているうちに、作品にしたくなりました。



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