失脚席

犬山 翔太
 
 私の会社の第三事業部は、西日の当る暑い部屋である。特に窓際の端にある部長席は、ブラインドを閉めて冷房をかけていてもあまりの暑さで1日座っているだけで、かなりの疲労になるはずだ。

 そして、この部長席は、いつからか失脚席と呼ばれている。私が入社した頃には陰でそう呼ばれていたので、何人かの部長が既に失脚していたのだろう。
 私が入社した頃の部長は、厳格な人だった。仕事が遅れて期限を少し過ぎてしまったら烈火の如く怒ったし、些細なミスをしても長々と説教された。
 朝も小声で軽く会釈程度に挨拶すると
「声が小さい。おはようございます!だ」
と、傍目にも目立つくらい大声で指導された。
 そういう人だけに、様々な社員との間に軋轢があった。そして、ついに社長と意見が食い違い、確執が生まれて会社を辞めざるを得なくなった。
「へええ。ほんとに失脚することもあるんだね」
 私の同期も、噂話が真実になったのを驚いていたものだ。

 次の部長は、逆におとなしく温厚な人だった。常に当たり障りのない答弁に終始し、上司や部下との関係も良好で、これといって問題は起きないように思えた。
 しかし、その部が新規プロジェクトを抱えたとき、プロジェクト内で様々なトラブルが生じて、作業の進行が著しく遅れた。温厚ではあったが、リーダーシップに乏しく、部下に厳しく接することができない部長は、会社の上層部から部長失格の烙印を押されることになり、地方への左遷が決まってしまった。
「噂というものも馬鹿に出来ないものだ。あの席に座ることになったら、大変だぞ」
 私は、徐々にその席が気になり始めた。

 そして、次の部長が女性スキャンダルで会社を追われた頃から、私は、気が気でなくなってきた。
 私も、会社内で出世してその部の課長となり、次の部長席が目の前に迫ってきたからである。
 私は、何とかその席に座らずに済む方法を考え始めた。軽いミスをすることで、昇進しないようにする。または、他部部署への異動を希望し、この部署で部長になることを防ぐ。他の課長が部長にふさわしいと持ち上げ、自分がならないように仕向ける。
 私は、それらをこと細かく実行に移したが、それでも、まだ私があの部長席に一番近い存在ではないかという不安は消えなかった。

 そして、今の部長が部内の使途不明金が問題になって降格が決まったとき、私に辞令が届いた。
 ついに私があの部長席に座ることになったのだ。これまでの経緯を考えれば、私が失脚するのは目に見えている。こんなに嬉しくない昇進は、初めてである。昇進を辞退することもできるが、辞退してしまえば、一生、私の昇進はないだろう。どうすればいいのか。私は、迷った。
 下手な失脚をしてしまえば、会社を追われることになる。妻子のいる身で、それはあまりに辛い。それよりは、まだ今の地位をずっと守り続けていた方が家族のためだ。
 そうだ。今のままでいいではないか。部長になって、失脚という憂き目を見るよりは、このまま一生、静かに課長職を全うした方が幸福というものだ。

 私は、悩んだ末、部長昇進を辞退した。その日の夕方、私は、社長に呼び出しを受けた。
「君は、今度の部長昇進を辞退したそうだね」
「はい、私は、まだ未熟者でして、自分に部長職は荷が重いと感じ、現在の役職でこれからも頑張っていきたいと考えた次第です」
「そうか。よくぞ、決断してくれた。あの部長席は、ただの部長席ではない。君も薄々感付いているだろうが、失脚席なのだ。部長以上になる者としてふさわしくない人物をあの席に座らせ、私がいろんな策略をしかけて失脚させるための席なのだ」
「そんな仕組みになっていたとは……」
「君は、よくぞ自分の能力を自覚し、昇進辞退という決断をしてくれた。これで、私の手間が少し省けたよ。そのお礼を言おうと思って、今日は、呼び出したわけだ」






(2009年12月作成)




犬山ノート:
 日本の会社には昔から年功序列・終身雇用が基本としてあって、年配者ほど高い役職、高い給料を与えて敬う傾向が強くあります。
 しかし、この機能は、年配者が優秀で指導者としても優れていれば有効に働きますが、その逆だった場合は悲惨な事態を引き起こします。おそらく、日本の会社では、不運にも無能な上司を持って、不適格な指示の下で、効率の悪い働き方をさせられている人々が多数いるでしょう。
 最近は、そういうものが少しずつ崩壊しつつあるようですが、崩壊しすぎると秩序が乱れてしまうでしょうし、うまくバランスをとった会社がうまくいくのでしょう。


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